機甲戦記ドラグナーAS

我らの模型の時代

「マスターファイル メタルアーマー・ドラグナー」という本(実在兵器と仮定してメタルアーマー・ドラグナーを解説したもの)が先日出て、主に新作CG画で構成された本なのだが、表紙を見て、「もっと手間かけんかい!ゲームの画像か?!」と思って非常に物足らなく感じたのである。表紙ぐらいもっと時間かけられなかったのか?と思った。

中身に入っている設定画的イラストも今はやりのカトキ風的な、アニメ絵的ハッタリの効いていない、テクニカルイラスト的なバンダイのプラモデル開発用の「新設定画」的なものになっていて、これなら大河原御大が昔描いたアニメ設定画の方が絵としての面白さがあるし、カッコいいじゃないか!と思うのだ。今見るとあの設定画も凄く頭が大きい、とか素直にカッコよく感じられる絵にはなっていないのだが、それはこの20数年というもの、ガンダムシリーズ、数百に及ぶガンプラ製品を散々見てきたからで、当時は結構カッコ良く感じられた。

商売の仕方としてもっとドラグナーは頑張るべきだった、と思う。ダグラム、マクロスという前例がある。兵器としてのロボットをとことん理論的にもビジュアル的にも事前に詰めてゆき、オンエアの時にはプラモが飛ぶように売れる、というやり方があった筈なのだ。

グンジェム隊が後半から出てきて、後々まで人気の存在になるのだが、このようなカスタム機を初期からドンドン出す、もっとあからさまに言えば、毎回ゲバイやらダインやらの改造機、バリエーションを登場させ、後半は量産機ドラグーンのバリエーションでプラモ、玩具を売ってゆく、というやり方はどうして出来なかったのだろうか。当時、並行してガンダムの『逆襲のシャア』やOVA『ポケットの中の戦争』というメインの商品が存在した故、ドラグナーはどうしても二番手扱いされた、ということもあるだろう。

ゲイザムやズワイをプラキットのシリーズで出せばよかったのに、ということを言っているのではない。当時も雑誌というものがあり、またバンダイは「模型情報」「Bクラブ」という独自の出版物を持っていたのだから、モデラーをそこに投入し、大河原御大に描かせたバリエーションを次々にキット改造で立体化してゆけば、ついてくるファンは居た筈だ、と思う。ドラグナー3機のバージョンアップももう1回か2回有っても良かったのではないか。デザイナーやモデラーの頭数、技術が足りなかった訳でなく、巨視的に商売をリードしてゆくプロデューサーが存在しなかったのが『ドラグナー』の弱点ではなかったのか?と今にして私は思っている。『Zガンダム』『ガンダムZZ』前半のやり方ではなく、最初の『ガンダム』のメカの出し方こそ『ドラグナー』はモデルにすべきだった。

クローバーがスポンサーだった頃の本放映時の『機動戦士ガンダム』は立体化されないまでも毎回新メカが登場した。それは総監督・富野喜幸が自ら玩具販売の為のプロデューサー的視点を持っていたからである。そして自らメカコンセプトデザイナーとして登場メカのデザイン案を描く、という言わば「何でもやる」超人的な仕事ぶりで現場の勢いを支えていた。自らが商売のやり方を示していたのである。『ガンダム』テレビシリーズにおけるメカ世界のにぎわいがやがてはバンダイのガンプラの商品展開にプラスとなり、現在のガンプラの玩具業界における位置を固めた、と言える。その最初のガンプラシリーズの基礎があったからこそその後の「MSV」という「リアル世界のガンダム」を提示した商品シリーズの成功、世界観としてのモビルスーツ世界の一般化につながったのである。

『ドラグナー』もまた出し惜しみせず、寸暇を惜しんで大河原御大にメタルアーマーを次々に描かせるべきだった。作品世界の積み重ねと商売の成功がそれによって同時に達成された筈だ、と思うのだ。

 

 

ストリーム・ベースがまずMSVの元となる大河原イラストのイメージを立体化し、次いであまたのモデラーがガンダム模型世界を発展させる。そして行きついたのが『センチネル』だったり、小林誠、近藤和久らのモビルスーツだったりしたのだが、『ドラグナー』にも様々な道はあった筈なのだ。

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